彼女達の生きる力

知恵袋に投稿したある主婦の記事が波紋を呼んでいます。

この主婦は、学校にいかず働かない「生きる力の弱い」身内がおり、彼/彼女らはどうやって生きていくのでしょうか、彼/彼女が将来どうなっても、私は世話をしたくない、関わりたくないと言いながら、一方では働けない人たちを支援するNPOに参加しています。

客観的にみれば矛盾している行動ですが、まあ本人の人生ですから批判はできません。

有名な元都知事も、厚生労働大臣をしながら、自身の隠し子の養育費減額の裁判をしたくらいですから、彼女の行動は、法律的には何の問題もありません。

最近では、彼女たちのように、高度経済成長期やバブル期の方、特にバブル期に働いて家庭に入った方のなかには、学校にいく、会社に入る、を生きる力と考え、若者を憂う人がたくさんいます。

昔は学校をでて企業に入れば安泰でしたから、そう思うのも無理はありません。

しかし、今は不景気で国も借金で回している状況、良い学校をでても、会社に入れない場合がたくさんあります。

ある大手企業の人事課長は、自分の母校の学校推薦担当ですが、お酒を飲みながら、採用枠がかなり少ないのに、学校からの要求で既定回数の採用試験をしなければならない、何の問題もない自分の後輩を落とさなければならないのは辛い、落とした学生たちはどこへ行くのだろうと嘆いていました。

運よく会社に入っても、大手が倒産したり、リストラされたりします。

三洋電機は、京都大学などを出た関西のエリート集団でしたが、会社はなくなりました。企業努力が足りないという批判は否めないですが、エリート意識を持つ多くの一般社員に、無断欠勤など社会人として致命的な問題があったわけではないでしょう。それでもパナソニックに入れたのはほんの一割です。他の人たちは転職したり、身内をたよって再就職先をさがしたり、自営を始めるしかなかったのです。

それでも、学校をでて就職さえすれば安泰だったバブル世代や、特にバブル期のみ働いて家庭に入った方のなかには「真面目に努めていれば学校や会社は裏切らない」と信じている人がいます。

しかし彼/彼女らは、採用枠に関わらず試験を受けさせた学校や倒産した会社に問題があるとは考えず、自らの子供世代である若い世代の原因として、彼らの問題点を分析し、心の傷だ、学習障害だなどと議論します。

特徴的なのは、これらの議論が、若い人の問題点を掘り下げ、カウンセリングを受けさせたり、特殊な学習プログラムを受けさせたりと、若い人の仕事を増やしていることです。

そして、残念ながら(重篤な症状の一部の人を除いて、つまり推薦試験を受けたり会社に入れるような社会生活ができるレベルの人には)氷河期に就職した経験のないボランティアの下でカウンセリングや学習プログラムに取り組んでも、直接は就職に繋がらないのです。まあ当然ですよね。

それでは、学校を出たとしても就職できず、大きな会社が明日にはなくなる現代に、生きる力とは何でしょうか。

明治維新から敗戦そして経済成長と、いくつもの価値観、栄枯盛衰を経験したお年寄り世代の幾人かは、「運かなあ。だけど肉体と精神の健康、家族があればいつでもやり直せる」と語っています。

世の中は変わるから、報われるかは運次第。立場がなくなろうと、家がなくなろうと、自分で自分を奮い立たせる健康な肉体と精神、最後の砦として立ち上がらせてくれる身内があれば強いのだと。



冒頭の主婦にとっての「生きる力」は、夫の年金やNPOでの人間関係なのでしょう。

彼女は若者の将来があてにできないから、せめて面倒を見ないことで、少なくなる自分の年金を守りたいのかもしれません。まあ分からなくはありません。

それで彼女が安心できるのなら、それでもいいでしょう。それでは彼女の不安の種はなんなのでしょうか。

自分の老後をみてくれる次世代を育てる仕事を放棄し、取り組んでいるNPOでも「弱い人はどうやって生きていくのでしょうか」という課題の解がない、そんな状況が、彼女の恐れの正体なのかも知れません。